東野圭吾さんのレイクサイドの書き出し
汚れた綿のような雲が前方の空に浮かんでいた。雲の隙間には鮮やかな青色が見える。
並木俊介は左手をハンドルから離し、右肩を揉んだ。さらにハンドルを持つ手を替え、左肩を揉む。最後に首を左右に振るとポキポキと音がした。
彼の運転するシーマは、中央自動車道の右側車線を、制限速度よりちょうど二十キロオーバーで走っている。ラジオからはお盆の帰省による渋滞情報が流れていた。例年に比べてどこも渋滞は少ないという意味のことを伝えている。
高速道路を下り、料金所を出たところで携帯電話を取り出した。信号待ちの間に、登録してある番号の一つを選んだ。登録名が『ET』というものだった。
かけてみたが、相手の電話は留守番電話サービスに切り替わった。彼は舌打ちをし、携帯電話をズボンのポケットに戻した。
カーナビゲーションシステムの画面を見ながら、しばらく一般道路を走った。やがて車は林に挟まれた一本道に入っていた。道は緩やかにカーブを描いており、木々が途切れたところには小さな美術館やレストランが並んでいた。それらの建物は、いずれも異国風の洒落た形をしている。
姫神湖別荘地まであと何キロと記された看板が現れた。俊介はふっと吐息をついた。
看板に表示された残り距離数が少なくなり、最後の看板には、『姫神湖別荘地 ココ左折』とあった。彼はハンドルをきった。紺色のシーマは森に囲まれた小道に入った。
別荘地内には細い道が迷路のように走っていた。別荘はさほど密集していない。深い森の中に、ぽつりぽつりと建物が見える程度だ。
道の脇に小さな空き地があった。そこには三台の車が並んで止まっていた。シルバーグレーのベンツ、紺色のBMW、そして赤のワゴン車だ。三台とも道路側にテールランプを向けている。
俊介は自分の車もその空き地に止め、後部座席に置いてあったバッグと白のジャケットを持って外に出た。ドアを閉めてから、ジャケットを羽織った。
空き地のすぐ横に、下におりる階段があった。その先に焦げ茶色をした建物が見える。周りには森が広がっており、別荘は緑の海に沈んでいるようだ。