古内一絵さんのキネマトグラフィカの書き出し
文庫本から眼を上げると、車窓の向こうに、まだ雪が残る山並みが迫っていた。
北野咲子は、軽く伸びをして窓枠にもたれる。
時間通りの到着になりそうだ。
久々に全員が顔をそろえる同期会に参加するため、咲子は上越新幹線に乗っていた。休日にもかかわらず、昼下がりの自由席はすいていて、車輛の乗客の数はまばらだ。
東京から小一時間、新幹線に乗ってしまえば、群馬県桂田市はさほど遠い場所ではない。
また、いつでもこいよ。
そう言って笑っていた、栄太郎の声が甦る。
前回、桂田市を訪ねたのは、同期入社の水島栄太郎が会社を辞めた後、この地に転職を果たした年だった。
神経質なところのある栄太郎が、大雑把で荒々しかった会社を辞めたことに不思議はない。けれど、山口出身の彼が郷里に帰らず、群馬の、しかも最も苦手としていたであろう、かつての取引先に転職したと知ったときは、正直驚いた。
『破れ鍋に、綴じ蓋』
栄太郎の転身の背景が知れたとき、そんな口さがないことを囁いたのは、誰だったろうか。
いつでも行き来ができる距離にもかかわらず、あれから瞬く間に二十数年が過ぎてしまった。次に全員で会するのが五十歳を過ぎてからになるなど、当時の誰もが想像していなかったに違いない。
咲子は、文庫本に挟んでいた一枚の写真を取り出して見た。
壁全面に映写機のレリーフが施された堂々たる造りの劇場の前に、若い六人の男女が並んでいる。まだ、二十代だった頃の自分たちだ。
平成元年組。
元号が切り替わった直後に、老舗の映画会社、銀都活劇 通称、銀活 に入社した咲子たちは、周囲からそう呼ばれた。