人生も後半戦! これから先も楽しもう!

人生も後半戦になったら、これまでの生き方に後悔することもあります。しかし、後悔しても仕方ない。この先楽しく生きるためにいろんなことに挑戦

中山七里さんのヒポクラテスの誓いの書き出し

 

 

「あなた、死体はお好き?」

 真琴はそう訊かれて返事に窮した。

 十一月の薄日が差し込む法医学教室で、挨拶も交わさないうちの第一問がこれだった。しかも目の前に座る質問者は、紅毛碧眼(こうもうへきがん)でありながら日本語が至極流暢ときている。

「あ、失礼。自己紹介まだだったわね。ワタシ法医学教室准教授のキャシー・ペンドルトン」

「け、研修医の栂野真琴です」

 差し出された手を慌てて握る。骨ばっているが、指の長い、ほっそりとした手だった。医者というよりはピアニストの指と言われた方がしっくりくるかも知れない。ただしお世辞にも美人とは言いかねる。意志の強そうな太い眉と鰓(えら)の張った頬。意地の悪い言い方をすれば、名前と指先の綺麗さだけが彼女の女らしさだった。

「それで、お嬢さん、死体はお好き?」

「特に好きということは……」

「えっ、それでは嫌いなの」

「いや、あの……死体に好きとかないんじゃないでしょうか」

 するとキャシーは目を丸くして言う。

「死体が好きでもないのに法医学教室に来たのですか? あなた解剖医がどんな扱いを受けているか知っているのですか」

 そんなことは言われなくても承知している。自分だけではなく学生も研修医も全員そうだ。

 臨床医に比べて解剖医の収入は低い。しかも民間と大学の勤務医でも給料に結構な差がある。大学勤務の解剖医となれぱ二重に条件が悪い。

「志望は内科なんですけど、その、臨床研修長に言われて」

臨床研修長。ああ、内科の津久場教授ですね。て、どうしてここに来たの」

「津久場先生が、君に足りないのは広範な知識だからって……法医学教室で研修した内容を加味して全体の成績を評価してくれるらしいんです」

 日本では医大において六年間教育が行われ、その後、国家試験に合格すれぱ医師免許が与えられる。しかし医師免許を持たない学生の身分では法律上、医療行為に携われないため、医師免許を所得した時点での実地経験は皆無となる。つまり医療経験のない医師が一挙に大勢誕生するという、非常に具合の悪い状況が生じるのだ。