人生も後半戦! これから先も楽しもう!

人生も後半戦になったら、これまでの生き方に後悔することもあります。しかし、後悔しても仕方ない。この先楽しく生きるためにいろんなことに挑戦

東野圭吾さんのダイイング・アイの表現、描写

 

 取調官は坂巻という名の警部補だった。眉間に縦縞が刻まれたままの、神経質そうな顔つきの男だ。黒々とした髪をオールバックにしている。むき出しになった額には、うっすらと脂が浮かんでいた。

 

 

「どういう取引だ」

「そりゃあもちろん、口止め料のことでしょ。例の事故に関しての、ね」

 慎介がこういった瞬間、江島の耳のうしろがぴくりと動いた。慎介は身構えた。二人を包む空気が、ずっしりと重たくなったような気がした。

 

 

 店主と思われる男はカウンターの中にいた。髭を生やし、長く伸ばした髪を後ろで縛っていた。

 

 

 樫本は怪訝そうな顔で近づいてきた。値踏みするように目を小刻みに動かしている。

 

 

 たくさんのジグソーパズルが独りでに組合わさっていくように、慎介の頭の中で記憶が形を整えていった。漠然としていたものは、その輪郭をはっきりとさせ、乱雑だったものは順序よく並び、欠けていた部分は補充されていった。

 

 

 やがて建物が見えてきあ。タワーという名にふさわしく、四角い塔が夜空に突き刺さって見える。周りにも超高層マンションがいくつかあり、この一帯だけが異国のようだ。

 

 

「どうせ、肝心なところは信用しないくせに」少年はいった。

「えっ、どういうこと?」

 だが少年は答えず、横を向いたままだ。十代特有の反抗心が横顔に張り付いている。

 

 

 「一体どういうことなんです。何だって今さらそんなこと訊くんですか」慎介は声に少し苛立ちを含ませていった。

 

 

 慎介は女の目を見た。妖艶な輝きを帯びた目が、見つめ返していた。ネコ科の肉食動物を思わせる危険な光も同居している。

 

 

「この店はたしか」彼女は慎介の目を見つめた。「午前二時まで、だったわね」

「そうです」

 「ふうん……」女の唇に意味ありげな笑みが滲んだ。

 

 

「残念ながら芸能界とは何の関係もないの」

「そうなんですか。じゃあ、わからないな。答えを教えてくださいよ」

 「さあ、どうしましょう」女は蠱惑的な眼差しを向けながら、顔を少し傾けた。

 

 

 女はギブソンが気に入った様子だった。時折細いカクテルグラスの底に沈んだパールオニオンを眺めては、形のよい唇に流しこんでいった。一口飲んでは味を記憶に留めようとするかのように瞼を閉じた。

 

 

 サラリーマン風の男で、丸い顔に比べて少し小さすぎるように見える眼鏡が、鼻の下で微妙に傾いていた。

 

 

 慎介は再び彼女の携帯電話にかけてみた。だが状況は昨夜と同じだった。

 風で木の枝葉がざわざわと揺れるように、突然胸騒ぎがし始めた。

 

 

 「いいね」慎介はいった。岡部は片方の頬だけで笑った。

 

 

 グラスを受け取ると、慎介は息を整えてから一口飲んだ。ほどよい苦味が口中に広がっていく。全身の細胞が覚醒していくようだった。

 

 

 入ってきたのは見たことのある女だった。少し目尻の下がった目と、ぽってりとした唇が印象的だ。由佳という名前だけは覚えていた。彼女は白い薄手のコートをボーイに預けた。コートの下には身体のラインがくっきりと出るブルーのワンピースを着ていた。

 

 

 ビルの前でぼんやりと立っていると、ラクションの乾いた音がした。慎介は音のしたほうに顔を向けた。濃紺のBMWが道路沿いに止まっている。

 

 

 店内の乏しい明かりが彼女の顔を斜めから照らしている。陶器のように白く、滑らかな肌だった。

 

 

 やや茶色みを帯びた虹彩の中心にある瞳は、寸分のずれもなく彼の目を捉えていた。わずかに開かれた唇の隙間からは、濃厚な花の香りの吐息が漏れてきそうな気配があった。

 

 

 細く華奢な身体つきのわりには低い声だった。フルートの低い音を聞いたような余韻が、慎介の鼓膜に残った。

 

 

 四階建ての小さな建物で、くすんだ黄土色にしか見えない壁面は、以前はクリーム色と表現できるものだったのかもしれない。ガソリンスタンドの、高速ワックス洗車と書かれた看板の四角い影が、その壁に貼り付いていた。

 

 

 キシナカレイジ、と今度は慎介が口の中で反復する番だった。その名前の知り合いはいなかった。だが脳の中にある何かを刺激する名前であることはたしかだった。それが記憶の中の、どの引き出しに入っているものなのか、慎介は必死で考えようとした。だが思い出せなかった。どうやらその名前は、「雑多なもの」というラベルを貼った引き出しの奥底に紛れ込んでいるらしかった。

 

 

 二人きりになってから、成美は改めて慎介を見つめてきた。その目は風に揺れる水面のように潤んでいた。

 

 

 耳鳴りはやまなかった。首を動かそうとし、ひどい頭痛を感じた。頭を流れる血流に合わせて、じんじん、と痛みがリズムを刻んでいる。