人生も後半戦! これから先も楽しもう!

人生も後半戦になったら、これまでの生き方に後悔することもあります。しかし、後悔しても仕方ない。この先楽しく生きるためにいろんなことに挑戦

浅田次郎さんのハッピー・リタイアメントの書き出し

 

 油蝉の声が絶えたと思う間に時雨がやってきて暑気をころあいに鎮め、かわりに蜩(ひぐらし)の鳴き始めた晩夏のたそがれどきであったと思う。

 いや、地球温暖化とやらで蝉も時雨も出番にとまどっている昨今のことであるから、もしかしたら九月もなかばを過ぎていたかもしれない。

 ともあれ仕事に倦(う)んだ私は書斎の縁側にあぐらをかいて、雨に潤った苔庭をぼんやり眺めていた。

 家人は出払っており、猫どもは時雨を幸いにいぎたなく寝こけており、たいそうな金をかけて敷き詰めた杉苔は暑さにすっかりへたって、陽の当たるところは茶色に腐っていた。

 今にして思えば、いかにも招かれざる客が訪れるにふさわしい瞬間であった。雨が過ぎて蜩がカナカナと鳴き上がり、まるで一日も一夏も、私の仕事もきっぱりと終わった静寂を見計らったように、来客を告げるチャイムが鳴った。