横山秀夫さんの顔(FACE)の表現、描写
安奈の意識が戻ったら連絡を寄越すように。そう言い残して、七尾は廊下の闇に溶け込んでいった。
病院の廊下は灯が落ちていた。
非常口を知らせる緑色の常夜灯と、火災報知器の赤いランプが暗い廊下に滲んでいる。
瑞穂は席を立った。膝の間接が小さく鳴った。
瑞穂は二人の会話の谷間に落ち込んでしまった格好だった。微かに妬ける。D県警の婦警なら誰だって七尾に認められたい。
瑞穂は俯いた。拍子に涙が畳を打った。
「何の用だ?」
真正面から見据えられた。
瑞穂は渇ききった喉から言葉を絞り出した。
「お願いがあって参りました」
切れ長の細い目が瑞穂に向いた。やや下膨れで起伏に乏しい顔。それを補うかのように化粧はきつかった。タートルネックの白いシャツにジーンズ地のオーバーオール。前髪に金色のメッシュを入れ、耳にはピンク色のピアスが光っていた。
私鉄N駅の改札を出た三日月顎の若い男は、額に手を翳して顔をしかめ、やおらTシャツの裾を捲り上げて胸の近くまで素肌を晒した。その半裸の姿のまま陽炎揺らめく駅裏の舗道をだらしなく歩き、ガードレールに沿って横一列にひしめく放置自転車に目を向けるや、周囲を窺うでもなく、鍵の壊れた一台に手を伸ばした。
脳が勝手に動いていた。まったく無関係に存在していた幾つかの情報が、互いに吸いよせられるかのように集まってきた。翳りのある目。肌の手触り。それらは一つの結論を求めて形をなそうとしている。だが、うまくくっつかない。形にならない。きっとそう、まだ何かが足りないー。
「千恵子、元気でね。私も私なりに頑張るから」
千恵子は送りに出なかった。
別々の道を歩き始めた。もう会えなくなるかもしれない。決別……。やはり今年の春は苦すぎると、痩せ細った心で瑞穂は思った。
それきり、石川は沈黙した。そう決意したかのように、目に見えない拒絶の壁を造って瑞穂に帰宅を促した。
石川は顔を綻ばせ、だが、それは長続きせず、翳りのさした両眼をまた遥か遠くに向けた。
日頃あまり意識しない汗を、瑞穂はいま、受話器を握りしめた手に感じていた。
その瑞穂の頭の上で弾んだ声がした。
「平野 喜べ。配転だ」
以前は壁一面に似顔絵があって賑やかだった。すべて剥がした。画材もスケッチブックも、今はベッドの下に眠っている。
傷口は開いたままだった。その内部はじくじくと膿んで、薄暗い感情が蠢(うごめ)いている。
緊張した空気を電話のベルが割った。南が受話器をすくう。
「広報官 刑事部長がお呼びです」
浅川久美子がニコルのワンピースをひらひらさせながら出てきた。いるのはわかっていた。顔を合わすたび嫉妬を強いる大きな瞳と肉厚の唇を持つ彼女は、日々その銘柄を変える香水の主でもある。