小説から学ぶ表現、描写を学ぶ 朝井リョウさんの世にも奇妙な君物語
五人の瞳は、戸惑い、不安、ほんの少しの昂揚、様々な感情が混ざり合ったような色をしている。
そんな十の視線に全身を貫かれるようにしながら、淳平は、唐突に思った。
ー 今、俺、めちゃくちゃ主役っぽいぞ……
自分は、この人に憧れて、この人が言うように、本に書いていたように、テレビで言っていたように仕事をしてきた。香織は、板谷のてのひらの中で潰れていく紙パックを見つめる。
【次のプログラムは、ちゅうりっぷ組によるかけっこてす。練習の成果が出るかな? みんな、がんばってください】
スピーカーから流れる声が風によって膨らみ、グラウンドにいる子どもたちをやわらかく覆うように降りかかる。
「え!?」
孝次郎は、思わず漏らしてしまった声をどうにか拾い上げて口の中に仕舞いたかった。だが、もちろんそんなことはできない。突然大きな声を出した孝次郎のことを、他の保護者たちが不審そうに見ている。
「でも、だからってこんな!」
「時代は変わったんです」
孝次郎の訴えは、須永の目線に打ち消される。
ー ぼくがなにかすると、みんな、笑うから。
この子はきっと、これからずっと、もっと、つらい思いをするのだろう。
孝次郎は突然、雷に打たれたようにそう思った。その途端、眼球の裏側が、じんと熱くなった。
「やだ」
学人は、すぐに、絵本のほうに視線を戻してしまった。
「目立つことなんてしたくない。ぼくがなにかすると、みんな、笑うから」
小さな背中の向こう側から、もっと小さな声が聞こえる。
「そんなの、先生も、知ってるでしょ」
子どもは、敏感だ。大人が思っているよりも、人のことを見ているし、空気を読むし気も遣う。大人が大人にそうするときよりも、もっと、ずっと高い解像度で。
「なあ、学人」
「なあにい」学人が、パッと、顔を上げる。
「運動会で、たとえば応援団長とかさ、ちょっと目立つことしてみたいなー、とか、思わないか? ほら、いっつも学人はみんなの後ろのほうに隠れてるだろ?」
幸次郎を見上げる学人の目に、さっと、影のようなものが宿る。
「応援団長じゃなくても、たとえばリレーの選手とかなんでもいいんだけどさ。その絵本の中のライオンさんみたいに、みんなの前で活躍、みたいな」
「やだ」
学人は、すぐに、絵本のほうに視線を戻してしまった。
歩くたびに左右に揺れる須永の尻は、筋肉がすっかり落ちてしまっており、何年も使い続けているクッションのように薄い。
いつだって知子のことを認めてくれた姉の声は、いつ思い出しても、オーブンから出したばかりのスポンジケーキのようにやわらかくてあたたかい。
姉はくすくす笑いながら、知子の小さな頭を撫でた。知子の髪の毛は、砂時計のなかの砂のように、さらさらとやわらかく指の腹をすべる。
れいなが最後まで閉めなかった窓から、夕方と夜の境目をつないでいるような風が入り込んでくる。明日の午前中には、引っ越し業者が来てしまう。
「なんかね、ちょっと不思議なの」
ニカニカ笑いながら、章大はよく冷えた麦茶を飲む。浩子は、波打つ小麦色の喉元から思わず目を逸らした。
良治の細い顎にはやわらかそうな髭がたくわえられており、しっかりした眉のすぐ下にある二重瞼からは、やさしい微笑みが常に零れ出ている。歳は四十代半ばぐらいだろうか、この家の中で一番年上と見て間違いない。部屋着とはいえ高そうな生地のポロシャツが、分厚い胸板の上でピンと張っている。
「え、えっと、どなたですか?」
「すみません、お邪魔してます」
浩子はぺこりと頭を下げる。「その子、体調が悪かったみたいで。うちで休んでもらってて」キッチンからそう説明があってやっと、いま帰ってきた若い女性は警戒心をゆるめたようだ。浩子に向かって、距離感のある会釈をする。
週末のはじまり、その幸福感の尾ひれのような朝陽が、大きな窓からこちらに手を伸ばしてくる。
蛇口からまっすぐに落ちた水が、シンクにぶつかって粉々に砕け散る。その音が、五感すべての電源を押した。
「ごめんなさい、私っ」
腹筋だけで起き上がった途端、まるで鉄の塊でも埋め込まれているみたいに、頭のどこかがずきんと痛んだ。二日酔いの痛みだ。