壁時計が午後七時を過ぎる頃、ちょうど最後の未決書類が片付いた。三雲忠勝は机の上の書類一切合財を自分用に割り振られたキャビネットに収めると、施錠した上で扉が閉まっていることを確認した。慎重な上にも慎重をーーそれが三雲の流儀だった。
「お疲れ様。君はまだ帰らないのか」
フロアに残っている沢見に声を掛けると、沢見はパソコン画面を前に力なく首を振ってみせた。
「まだ申請者が四枚ほど。あと小一時間といったところですか」
手伝ってやりたいところだが、決裁印を押す立場の自分が手をつけていい案件ではない。
適当なところで切り上げろよ、と言い残してフロアを出る。
青葉区役所の庁舎を出ると、既に仙台の街はネオンで暗く輝き始めていた。クルマの走行音に混じって若い女性たちの嬌声(きょうせい)が聞こえる。静かな佇まいの中の賑やかさ。初めて訪れる者には、四年も過ぎたとはいえここが未曾有の震災に遭った街とは到底思えないだろう。事実、災害の後でもいち早く復興を遂げたのは仙台市だった。塩釜港付近の宮城野区や若林区などは甚大な被害を受けたものの、各地からのヒト・モノ・カネの集積する形で着実に槌音(つちおと)を響かせたのだ。
だが、街が息を吹き返したとして、住んでいる者たちの心までが元に戻ったとは限らない。親族を失った者、家を失った者、そして心を失った者。それぞれが喪失感を胸に抱いて生きている。