元旦
都内の空は鈍色(にびいろ)に曇って、スカイツリーごしの朝日は拝めそうになかったが、初日の出を拝みたい気持ちなど、疾(と)うの昔にどこかへ消えてしまっていた。昨日と同じ朝がまた明けるだけのこと。生活が変わるわけでも、新しい何かが始まるわけでもない。
「いっそ、コロッと逝ければなあ……」
飢えと寒さに身を震わせて、明け初めの空に呟いてみる。正直なところ、それが彼の望みだった。この寒さで惰眠を貪りながら時間をやり過ごすのも難しい。じっとしていても凍えるばかりで、またトボトボと歩きはじめた。
朝まだきの都会は灰色に霞んで、通り沿いの植え込みに、白く霜が滲んでいる。
比奈子は倉島の前に甘酒を置いた。スタイリッシュな倉島のカップに注がれた甘酒は、なんだか別の飲み物に見える。それでもガンさんの渋い湯飲みに入れた甘酒のほうが、数倍おいしそうと比奈子は思った。
「はいっ!」と一斉に応じた声に、部屋が震える。
比奈子は警察学校時代のことを思い出した。一糸乱れぬ動作が建物すら震わせることを知ったのは、あの時が初めてだった。
すうっと突然暗幕が下りて、比奈子の思考はぷつりと途切れ、一切何もわからなくなった。
二人掛けのソファを占領している川本の前にはガンさんと片岡が掛けており、その他の面々は周囲に立ったり座ったりしている。
「マダコロスヨテイ、ツ カ マ エ テ」
殺スという声だけが、脳内で漢字に変換された。頭を鈍器で殴られた気がして、比奈子は目だけでガンさんに助けを求めた。
河川敷のススキの原から冬の匂いが立ち上がってくる。空は重く、月の光は雲で見えず、廃工場は真っ黒だ。時折吹き付ける風がコートをめくり上げて、靴が踏みしめた砂利石が、驚くほど大きな音を立てた。
ライトに切り取られた場所だけが、次々と暗闇に浮かんでは消える。
「なんすからあの上から目線は。特にあの加藤ってオッサンすよ、言い方がいちいち燗に障るんっすよね。警視庁本部は偉いとでも思ってんすかねえ。まあ、偉いっちゃ偉いけど」
東海林は鼻から二本の息を吹き出した。
厚田班が最後尾に席を与えられているのを幸いに、比奈子は腰をかがめて室内に入ると、水中から浮かぶようにして東海林の隣に座りこんだ。
「ちこくだアホ」
顔色一つ変えないで、東海林は口だけ動かした。
「冗談ですよ」
倉島がそう言ったとき、捜査本部で内線の鳴る音がした。本庁の当番刑事が受話器を上げて、ちょうどブースを出かけた厚田班の面々を視線で止めた。
「藤堂比奈子刑事ですか? で、あんたは誰?」
一瞬で、その場の空気が張り詰めた。
芙巳子さんは、唇をガクガクと震わせていた。
「みんなは無事なんですか? ケガは?」
「大吉っちゃんと、稲垣さんが、まだ中に」
芙巳子さんから比奈子へと、酷い恐怖が滲みてくる。
夜になって周囲は冷え込み、検死作業が進む中、電柱の下で比奈子らはコートの襟をかき合わせていた。