九十人の子供が住んでいる家がある。
『あしたの家』ーー天城市立三日月小学校から程近い場所に存在する児童養護施設だ。
様々な事情で親と一緒に住めない子供たちが、一つ屋根の下に暮らしている。
昨今ではより「家らしい」少人数の施設が主流となっているが、『あしたの家』は設立が古く、当分の間は大舎制と呼ばれるこの大規模施設として運営される予定である。
施設には子供たちから「先生」と呼ばれる児童指導員が宿直制で二十四時間常駐している。
そしてその日、三田村慎平は希望に溢れて『あしたの家』に着任した。
残暑がようやく過ぎた秋晴れの一日だった。
「やっと靴箱の中に靴を入れるようになったの。担当の先生が毎日毎日注意して、やっと」
和泉の静かな声が、ねじこむような重さで玄関に響く。
部外者みたいな気まぐれな親切で、同僚の躾を邪魔してはならない。言われたことの意味は分かったが、感情が飲み下すことを拒む。
呼び止めようとした声が喉の奥で萎む。
楽しさの名残を惜しむように喋りながら駅へ向かっていると、駆け足の音が追いかけてきた。振り向く前に、三田村には誰だか分かった。
「和泉!」
渡会に呼びかけられた和泉のほうがむしろ驚いたような顔をしていた。
「梨田先生にだってプライドがあるんだよ!」
肺の底から吐き出すような声で久志が怒鳴った。
「こんにちは!」
意気揚々と玄関を開けると、真山は土間の応接セットに沈み込むように腰をかけていた。
「いらっしゃい」
いつもどおりの人懐っこい笑顔で迎えるが、タイミングを失敗したなかと胸がざわりと浮く感じがした。
「俺、高校生の頃、和泉のこと好きだったよ」
「振ったでしょ」
ボレーで返すと、渡会はばつが悪そうに笑った。
「かっこつけたかったんだ」