人生も後半戦! これから先も楽しもう!

人生も後半戦になったら、これまでの生き方に後悔することもあります。しかし、後悔しても仕方ない。この先楽しく生きるためにいろんなことに挑戦

2022-01-12から1日間の記事一覧

さらさらと音を立てて、深緑色の茶葉が白無地の急須の中にこぼれていく。そこにゆっくりと回しながら湯を注ぐ

カウンターの上にある鍋敷きにやかんを置き、傍らの樺細工の茶筒のふたを開ける。さらさらと音を立てて、深緑色の茶葉が白無地の急須の中にこぼれていく。そこにゆっくりと回しながら湯を注ぐ。 こぼこぼと湯の落ちていく音、深遠な響きに、紫紋の耳がとらわ…

知らないうちに点っていた胸の中の火が、ふっと消える気がした

出ていかなければ。このセーターが、乾いたら。 そう思いついたとたん、知らないうちに点っていた胸の中の火が、ふっと消える気がした。 原田マハさんのまぐだら屋のマリアより

若い頃にはない落ち着きと陰影が細面をいっそう美しく見せている

目鼻立ちの整った顔だ。年の頃は三十くらいだろうか。若い頃にはない落ち着きと陰影が細面をいっそう美しく見せている。思いがけなく名画を見た気分で、紫紋はむさぼるように彼女の顔をみつめた。 原田マハさんのまぐだら屋のマリアより

すらりとした背中に、無造作に結んだ長い髪の束が垂れている

洗いざらしの七分袖のシャツに、膝丈のプリーツスカート。すらりとした背中に、無造作に結んだ長い髪の束が垂れている。つややかな黒髪が揺れるのを紫紋の目が追った。伏し目がちの顔がカウンターに向かい合う。水道水を流す音がし、食器を洗う音がし始めた。…

くすぐったく笑う声がして

「あの、近くに……ATMとか、ありますか」 とっさに言い繕った。ATMがあったところで、口座の残高は三百円かそこいらだ。東京を出るときに、母への最後の仕送りをすませ、手もとに残った三万円でどうにかここまでやってきたのだった。 くすぐったく笑う…

好奇心に彩られた瞳と視線がぶつかる

そこまで一気に言ってから、ちらりと目を上げた。好奇心に彩られた瞳と視線がぶつかる。一秒もみつめ返せずに、紫紋は目を逸らした。 原田マハさんのまぐだら屋のマリアより

体の隅々まで、煮魚の甘辛い味が、ほくほくとしたご飯のぬくもりがいきわたり

紫紋は両手を腹の上に置いて、椅子の背にのけぞって天井を仰いだ。頭の中が真っ白だった。体の隅々まで、煮魚の甘辛い味が、ほくほくとしたご飯のぬくもりがいきわたり、痺れるような幸福感が満たしていた。 原田マハさんのまぐだら屋のマリアより

くつくつと煮える鍋のあぶくの音が、その声に重なる

「いらっしゃい」 明るい声がした。くつくつと煮える鍋のあぶくの音が、その声に重なる。 「開店まえでたいしたものはないけど……何食べたい?」 それが、出会って最初のマリアの言葉だった。 原田マハさんのまぐだら屋のマリアより

長いまつげの伏し目が、ようやくこちらを向いた

「あの……すいません。おれ、すっげえ腹減ってるんですけど」 長いまつげの伏し目が、ようやくこちらを向いた。紫紋は、はっとした。 何言ってんだおれ? いきなり入ってきて、見ず知らずの人に向かって腹減った、だって? 澄んだ目が、瞬きもせずに紫紋を見…

どこか楽しげな表情が色白の顔に優しく広がっている

その人は一心に手もとに視線を落として、ちらりともこちらを見ない。どこか楽しげな表情が色白の顔に優しく広がっている。紫紋は何か話しかけようとして、なかなか口を動かせなかった。 原田マハさんのまぐだら屋のマリアより

醤油と砂糖が絡んだ甘い香り

じわっと口の中に唾液がこみ上げる。急に痛いほどの空腹を覚えた。無意識に腹を片手で押さえながら、紫紋は吸い寄せられるように戸口に近づいた。手を伸ばして横に引くと、拍子抜けするくらいすらりと戸が開いた。 とたんに、いっぱいのかつおの香りに包まれ…

馥郁(ふくいく)とした香りは、追いがつお

ふと、かすかな香りが鼻先をかすめた。馥郁(ふくいく)とした香りは、追いがつお。煮えたぎる湯に向かってさっと放てば、こんなふうに香りが花束のように広がるのだ。 原田マハさんのまぐだら屋のマリアより

なつかしい風情の入り口の引き戸の横に、土色の肌の大きな壺が置いてあり

なつかしい風情の入り口の引き戸の横に、土色の肌の大きな壺が置いてあり、大ぶりの紅葉の枝が投げこんである。いとも自然に、形よく。染みるようなその赤をみつめるうちに、これは廃屋でも民家でもない、何かの店だ、と紫紋は気づいた。ゆっくりと顔を上げ…

何を教えても童顔の目をきらきらさせて聞き入っている

後輩には厳しく接しなければならないとわかってはいたけれど、何を教えても童顔の目をきらきらさせて聞き入っている様子を見ると、とても厳しくなど当たれなかった。 原田マハさんのまぐだら屋のマリアより

赤いほっぺたの童顔のせいで、とても二十歳には見えなかった

そんな紫紋に、とうとう後輩ができた。浅川悠太。北東北地方の寒村の貧しい家庭に生まれ育ち、家計を助けるために中学卒業後上京、料理屋で見習いを始めたという。赤いほっぺたの童顔のせいで、とても二十歳には見えなかった。 原田マハさんのまぐだら屋のマ…

母は顔をくしゃくしゃにして、泣いているような笑い顔になる

母の笑顔が目に浮かんだ。ほんとうに嬉しいとき、母は顔をくしゃくしゃにして、泣いているような笑い顔になる。その顔が見たくて紫紋はがんばってきた。 原田マハさんのまぐだら屋のマリアより

からからに干からびたミイラのような自分の肉体を鎮座させる

頭も心も胃袋も空っぽの自分を座らせてみた。からからに干からびたミイラのような自分の肉体を鎮座させる。 原田マハさんのまぐだら屋のマリアより

かすみがかった空中にふっつりと消えるように見えた

バスが去っていった道は、ずっと向こうの方で緩やかにカーブして、かすみがかった空中にふっつりと消えるように見えた。道路か丸く膨らんでいるところが海に向かって少しせり出し、小さな崖のようになっている。その崖っぷちに小屋が立っている。 原田マハさ…