人生も後半戦! これから先も楽しもう!

人生も後半戦になったら、これまでの生き方に後悔することもあります。しかし、後悔しても仕方ない。この先楽しく生きるためにいろんなことに挑戦

有川浩さんの「空飛ぶ広報室」から学ぶ表現、描写

私は定年後の趣味と実益にと、小説を書くことに挑戦しています。

しかし、出来上がった自分の小説を読み返してみると、自分の表現力や描写の稚拙さに情けなくなり挫折しそうになります。

小説家の方々の素晴らしい表現、描写をここに残して、身につけていこうと思っています。

私と同じように小説家の表現、描写に興味のある方はご覧下さい。


 ついに言い負かされたか、稲葉リカが顎に梅干しを作りながら「たいへん柔軟でいらっしゃるかと……」と口を濁しながら引き下がった。


 見る間に表情が沈み込む。ーーけっこうわかりやすい人かもしれないな、と空井はそのリトマス試験紙のような顔色の変化を見守った。


 比嘉が渋い顔で片山を睨むが、空井は苦笑と手握りで制した。


 ーー脳に言葉の意味が届くまで時間がかかった気がする。

 届いた、と同時に脳細胞が沸騰した。

 人殺しのための機械でしょう? ーー人殺しの機械に乗りたい人なんでしょう?

ーー何で俺たちがこんなこと言われなきゃならない、人を殺したい、なんて、

「……思ったこと、一度もありませんッ!」


 空井は人混みの中を泳ぐように件(くだん)のパイロットを探した。


 本当に怒っているときは眉間に描き込んだような見事なシワが二本立つ。やや後退気味の額は血色良くつるりとしているので、縦に刻まれる二本がやけに目立つ。

 たった二本のシワだが片山を打ちのめすには充分だった。


 首が外れて落ちそうなほど片山はうなだれた。


 鷺坂(さぎさか)が指先でデスクを叩いた。中指一本で叩いた音だが、拳で机を殴ったより鋭く片山の耳朶(じだ)を打った。首が勝手にすくむ。


「気をつけるって言ってるだろ!」

 抑えられず声が尖った。いつまでも比嘉の助けがないと何もできないと言われているようで無性に腹が立った。


「何ですかそれっ! 逆ギレすんならもう手伝いませんからね!」

 噛みつく空井の声を背中で弾き、片山は部屋を出た。


 片山が訊くと空井はキッと眦(まなじり)を釣り上げた。「バカにしないでください」とこんなときばかりはパイロットの顔に戻る。


 電話を切ってから、窺っていた二人に親指を立てる。二人の表情が電気のスイッチでも入ったように明るくなった。


 柚木はエレベーターホールへ向かう足を止めないまま言葉を探す風情になったが、結局手早い説明を思いつかなかったらしい。

「ちょっと立て込んでるのよ、後にして」


 エレベーターが下る間、柚木はイライラと踵(かかと)を細かく刻んでいる。やはり何かあったのだ、とリカは固唾を飲んだ。


 そして、一同が一斉に礼をした。ほとんど直角に腰を折ったような深いお辞儀は陳謝の角度だ。紙をぴしりと折ったように小揺るぎもしない。


 次の機会を許されたことに一拍遅れて気がついた。 ーーまるで天に昇るような心地になった。


「今までいろいろ口うるさくてすみませんでした」

 今まで、という前置きにぎくりと胸が冷えた。

「今後は余計な差し出口は控えます」

 冷えた胸が引き絞られる。まるで、 ーー突き放されたみたいな、

 槙が一礼して自分の棟へ歩き去る。背中に拒否されているようで結局何も言えなかった。


 俄に呼吸が浅くなった。 ーーまだ全然乗り越えられてなどいない自分に直面させられる。髪を洗う指先が丸く毛の抜けた地肌を捉えた感触がまるで昨日のことのように思いだされた。恐いと思ってしまった自分が忌々しくて悔しい。


 頬が炙られるように熱くなった。


 完全に手が止まり、固まった。こんな文字列はこれ以上一秒たりとも見たくないのに、そこに目か貼りついたまま離れない。ページをめくることもできない。


 仮設した広報本部のテントで報告を聞いた柚木は柳眉(りゅうび)を逆立てた。


 空井はへっと唇の端っこで笑った。


 手伝ってほしいなら手伝ってほしいと言えばどうか、というのは言ってもカエルの面に水なので空井も文句を言わずに従った。


 言い放った瞬間、リカの表情がひび割れた。

 これほど急速に人の顔から血の気が引くところを見たことはない。


 すみません、と詫びた声は震えていた。

 こちらこそ言いすぎました、と返せないほど暴力的な言葉を投げたことにリカの様子で初めて気づいて、舌の根が凍りついたように何も言えなかった。


 リカが何を言いながら席を立ったか覚えていない。翻るスカートの裾を目の端に捉えただけだ。


 空いたソファに腰を下ろすと、勢いに抗議するようにスプリングが軋んだ。


 何度も何度も携帯の電話帳でその名前を選び、発信できないまま何度も液晶のバックライトが落ちた。


「空井」

 声をかけたのは班長の小暮である。見ると小暮は電話の受話器を持っていた。

「帝都テレビさんから」

 心臓が体に悪い跳ね方をした。


 人の失敗はよく覚えている。空井は内心で舌を出した


「では明日の午後にでもお邪魔できますか?」

 はい、と答えた声が裏返った。その音階をどうにか逆に返して、空井は「お待ちしてます」と名残惜しく電話を終えた。


 酒が入って笑いの沸点が低くなっている。


 鼻の奥がツンとして、あっと思うともう涙がこぼれていた。