添田の、眼鏡の奥の小さな目が、一瞬、四角く見開かれた。彼は、震えるような息を大きく吸い込むと、「知世っ」と怒鳴りながら、リビングを出ていってしまった。
添田の喉仏が大きく上下している。貴子は、思わずさとかを抱く腕に力を込めながら、先輩の夫を睨みつけた。
知世の顔にはシミが目立ち、眉間にはひびが入ったような皺が刻まれていた。
彼女は挨拶の言葉さえ口にせず、機械じかけのように、唇だけを小さく動かした。
冷たく乾いた風が堅く踏み固められた地面を撫でていく。その風にあおられ、小さな砂利に混じって、とうに枯れ果てて茶色くひからびた木の葉が、微かな音を立てながら逃げるように転げ回っていった。日が陰ってきた頃から、急に風が強くなった。
その徒労感は捜査本部全体に伝わり、まるでさざ波のように方々でため息が漏れた。
ようやく蝉の声が聞こえ始め、木々は濃い緑を茂らせて、まとわりつくような湿気が呼吸さえ苦しくさせる日が続き初めていた。
よろめきながら振り返った男は、唸るような声で「おう」と言うと、吸いかけの煙草を手すりの外に放り出した。小さな赤い火種が、闇の中に消えていく。
男は、肉のそげ落ちた頬をさらにすぼめるようにしながら、煙草を吸っている。そして、下卑た笑いを口の端に浮かべ、再び「関係ねえだろうがよ」と続けた。
『紫陽花亭』というその店は、三階建てのマンションの一階に入っている。一見すると喫茶店のようなこじんまりとした店だった。焦げ茶色の木製の外壁ひはアイビーを這わせており、その上に、もともとは紫陽花になぞられた青や紫をしていたのだろうが、今やすっかり陽に焼けて色あせた日除けが張り出していて、そこには、店の名と「キッチン」という文字が白く入っている。
梅雨入りが近いのか、天気は悪くなかったが湿度が高く、厚ぼったい空気が全身にまとわりつく、嫌な日だった。こういう日が何日も続けば、早くも夏バテでもしかねない。
陽の射し込まない台所にいると、換気用の通風口から、ひんやりとした風が細く流れ込んでくるのが感じられる。