人生も後半戦! これから先も楽しもう!

人生も後半戦になったら、これまでの生き方に後悔することもあります。しかし、後悔しても仕方ない。この先楽しく生きるためにいろんなことに挑戦

原田マハさんの本日は、お日柄もよくの表現、描写

 

 私は一瞬もおかずにうなずいた。その拍子に、もうひとつぶ涙がこぼれ落ちた。さっきとは違う、あたたかい涙だった。やわらかな微笑が、彼の頬にほっと浮かんだ。

 

 

 久美さんは、ひとりぼっちになった。

 両親が荼毘に付されるあいだ、久美さんはひとり、親族の集まる待合室を抜け出して、火葬場の煙突から細長く煙が上がるのをみつめ続けた。涙が滂沱(ぼうだ)と頬を伝う。声を出さずに、久美は泣いていた。

 

 

 自宅にもうすぐ着くところまで来て、後部座席に置いたバッグの中で携帯がにぎやかに鳴り始めた。急いで路肩に車を停めると、携帯を取り出して液晶画面を見た。

 厚志君からだ。忘れ物でもしたのかな。

「はあい」とのんきな声で電話に出ると、

『こと葉、いまどこだ! すぐ戻れるか?』

 厚志君の声が携帯の奥から飛びこんできた。いままでになく切迫した声が。

 

 

「でも何になろうと、おれら、友だちだから」と言った。

 その一言は、乾いた砂浜にすうっと寄せる波のようだった。

 

 

 さざ波のように拍手が起こり、やがてそれは海原のような群衆へ荒波のごとく広がっていった。

 

 

 ワダカマは、挑戦するようにじっと私に視線を注いだ。私もその目をみつめ返した。ほんの数秒間、私たちはみつめ合った。

 

 

 カチリ、とマウスをクリックする音がして、久美さんのデスクの傍らのプリンターが動き始めた。最初の一枚を取り上げると、久美さんはそれを私の前に突き出した。

「これ、目を通しておいて。私これから、小山田さんのところへ行ってくるから」

 民衆党マニフェスト草案。紙には、そう題名が印刷されてあった。

 

 

「見ててくださいね。この選挙、必ず勝ちますよ」

 久美さんを真似て、少し強気で言ってみた。たちまち、恵里ちゃんは花のような笑顔になった。

 

 

 ワダカマはそう話してくれた。私の手を、じっと握ったまま。彼の熱、何か大切なことを伝えようとする熱が、手を通してじんわりと腕から胸へと拡がっていく。

 胸のずっと奥のほうに、小さくあたたかい何かがぷつんと芽生えるのを感じた。それは急速に成長し、私の心をすっぽりと覆う、みずみずしくて大きな木になる予感がした。

 

 

「いますぐ?」

 質されて、私の胸はかすかに波打った。けれど私は、「ええ。いますぐに」と返した。

 

 

 恵里ちゃんの言葉は、とてもたどたどしかった。それなのに、私の心を静かに打った。

 

 

「一番やりがいを感じることを、いまはひとつだけするべきだと思う」

 そのために他のことを捨てる、という選択もあるんじゃないかな。

 ワダカマの言葉は、戸惑い喘ぐ心にぽつりと落ちてきた一粒の雨のようだった。それはすうっと広がって、胸の奥底にじわっと吸いこまれていった。

 

 

「おれは、君に言いたいことがあるんだけとな」

 私はワダカマの目を見た。どことなく優しげな光が宿った瞳。どきんと心臓が鳴る。なぜだろう、私はけっこうこいつにどきどきさせられてしまうようだ。

 

 

 私は、厚志君の披露宴で久美さんに出会ったこと、千華の披露宴でスピーチをすることになって実は久美さんに相談したこと、千華のだんなさまの主賓だった鈴木社長のスピーチを指導した和田日間足のこと、その男がトウタカのブランディングプロジェクトのコンサルタントになったことなどを、さくっとまとめて高速で話した。

 

 

 ゴールデンウィークの初日。新緑がまぶしい曰比谷公園近くのカフェに、同期の奈菜、美和、そして千華とともにテーブルを囲む。

 思わずうーんと伸びをしたくなるようないいお天気。風が木々の若葉を揺らして通り過ぎていく。何もかもが新しく、きらめく季節。

 

 

 その言葉は、突然、私の胸の中でぽちゃりと跳ねた。澄んだ池の水面で身をひるがえす、輝く魚のように。

 

 

 久美さんと私は、ワダカマの後に続いて施設の中へ入っていった。煮魚のような匂いと消毒液の匂い。老人ホームに足を踏み入れたのは初めてだったが、想像以上にわびしげな印象だった。

 

 

 錆びついた鉄門近くで、花が散ったあとの桜の木が青葉をやわらかく揺らしている。

 ぼんやり点った門前の白熱灯の前で、久美さんはワダカマと私の到着を待っていた。

 

 錆びついた鉄門近くで、花が散ったあとの桜の木が青葉をやわらかく揺らしている。

 ぼんやり点った門前の白熱灯の前で、久美さんはワダカマと私の到着を待っていた。

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 すがすがしく晴れ渡った青空のもと、桜はこの日を待ったように満開だった。

 

 

 千華の美しい顔が、やわらかく崩れるのが見えた。

 大粒の涙が、ひとつぶ、ふたつぶ。つややかなばら色の頬を、伝って落ちる。

 

 

 同僚の奈菜と美和は、髪型がこれでもかってくらい縦ロールと夜会巻きにして、メイクはいつもの一・五倍の濃度だ。ドレスもキラッキラで、胸元もけっこうキワどく開いている。

 

 

 でも、どうして千華に相談していたことまで見抜いたんだろうか。

 私の疑問をすくい上げるように、久美さんは続けた。

「片思いしてて、告白できなくて、何かが理由で失恋した。それを知っているからこそ、千華さんはあなたにスピーチを頼んだのよ」

 

 

 エレベーターのドアが開いてすぐ左手、鼻がぶつかりそうな距離にドアがあった。『久遠事務所』と名刺が一枚貼り出してあるだけの錆びついたスチールのドアを、心細くノックする。

 

 

 東京都千代田区平河町にある、極端なまでに細長いビルの入口に立って、私は三階の窓を見上げていた。人ひとりがやっと通れるような入口。突きあたりにかろうじて取り付けたようなエレベーターに乗りこみ、「3」のボタンを押す。

 

 

 電車がゆっくり減速し、窓の外に連なるビルの窓ガラスが、朝日を浴びていっせいにきらめくのが見える。

 

 

「ねえ、どう思った? さっきの、あなたがスープ皿に激突するほど眠気を誘ったスピーチ」

 かすかに湧いた興味のあぶくを瞬時にすくい取るように、彼女が訊いてきた。私は、はあ、とため息のような声を漏らした。

 

 

「二流二流って……新郎新婦が選んだ場所なんですから。いいじゃないですか」

トゲを二倍増しにした声で、わざと突っぱねた。女の人は、ふむ、とちょっと感心したように鼻を鳴らした。

 

 

 女のひとが、タバコを指にはさんで笑っている。ショートカットに薄化粧、三十代後半くらいの、なかなかの美人だ。細身の黒いワンピースをさらっと着こなし、流行りの大ぶりアクセサリーをつけている。