清音は、湖面のように澄んだ瞳で父をみつめた。そして、そっと右手を差し出した。
重苦しいコートをすっかり脱ぎ捨てて、どの顔も春風にほころんでいる。
おだやかな陽光が、水面でやわらかに伸び縮みしている。
そう言って、高峰さんは、つややかな頬の上に、玉のような涙をこぼした。
高峰さんの顔に、うっすらと雲がかかった。
テアトル銀幕のネオンを車窓から遠く眺める。
古ぼけた赤い色をにじませる雨は、朝まで続くらしい。
電車がゆっくりと動き出す。清音の笑顔が一瞬、泣き出す寸前のようにやわらかく歪むのを見た気がした。
車窓は明るいひと続きの風になって、線路の彼方へと消えていった。
明るい希望のような約束を胸にしまいながら、私は清音に言った。
「そのときがきたら、きっと誘うんだよ。清音ちゃんのお父さんも」
清音はうなずかなかった。けれど、私をみつめ返す目は、夜露が溜まったようにきらめいていた。
半月型の目が、微笑していっそう細くなる。
「正直でいいわね」
私は石のように固まった。頭のなかで、カツン、となにかが衝突する音がした。
データ化なんて技術のない時代から十七年間蓄積された書類は、絶妙なバランスでオブジェのように積み重なっている。そのすべてを翌日までにシュレッダーにかけなければならなかった。
「ジョイフルシネマ」の青いネオンが、夕闇に浮かび上がっている。ぱらぱらと出てくる人々が、楽しげに言葉を交わしながら駅に吸いこまれていく。
右手に要塞のようなスーパーマーケットがあった。その上に、茜色に変わりつつある空がどこまでも平らに広がっている。まだ建設中の高層ビルのてっぺんから突き出ているクレーンが、きんと冷えた夕焼け空をゆっくりとかき回している。
右手に要塞のようなスーパーマーケットがあった。その上に、茜色に変わりつつある空がどこまでも平らに広がっている。
右手に要塞のようなスーパーマーケットがあった。
日曜日の夕方だというのに、街路はがらんと人通りもなく、街路樹のハナミズキが夕風にたよりなく傾(かし)いでいる。私は母の三歩先を歩いていた。
「いいからあんたは黙ってなさいッ」
父は眉間を弾かれた猫のようにぴくんとなる。
座椅子の前に古ぼけた卓袱台がある。卓袱台の向こう側にはカラーボックスが横置きにしてあり、その上にテレビが鎮座している。横にはDVDプレイヤーと、山と積まれたDVDケース。
しみだらけの天井から下がっている蛍光灯。古い箪笥がひとつ。引き出しに貼ってあるミッキーマウスのシールは、子供の頃の私の仕業だ。花柄の布が被せてある母のミシン。