私は定年後に趣味と実益をかねて小説を書けるようになりたいと思っています。
今でも、とりあえず書いているのですが、なかなか難しい。
短編を書くのがやっとで、その出来上がった小説を読み返してみると、なんとひどいことか。
自分の表現力や描写の稚拙さに情けなくなり挫折しそうになります。
そこで、小説家の方々の素晴らしい表現、描写をここに残して、身につけていこうと思っています。
私と同じように小説家の表現、描写に興味のある方はご覧下さい。
たまたまジュンク堂で目にとまった「ラスト・コード」を読んで、堂場瞬一さんの小説に興味を持ち、これが私にとって二冊目の堂場作品です。
堂場瞬一さんは人の動作の表現が細かく具体的なので自然と頭の中に映像が浮かんできます。テレビや映画を見ているような迫力です。
捜査一課長の柴田武久が、細く吐息を漏らしながら腕組みをした。剃刀の刃のように目を細め、上條元の顔を射抜くように見据える。
上條が正論で攻めたてると、柴田が細く息を吐いた。曲げた人差し指で眼鏡を押し上げ、舌を小さく出して唇を舐める。
柴田は言葉に硬い膜を張り巡らせた。小柄で細身、一見頼りないこの男は、実際には県警でも一、二を争う頑固者である。
上條が北嶺署捜査一課の大部屋に足を踏み入れると、電源を落としたようにさっとざわめきが引いた。まったく、こいつらは。目を細くして室内を睥睨(へいげい)する。
地面から掘り起こされる途中で撮影された遺体は、ほとんど白骨化していた。湯が沸く暑くなる北嶺の夏が、体組織の分解を促進したのだろう。
空っぽの眼窩が何かを訴えるように上條を睨みつけていたーー眼球がないのに、確かに睨みつけている。
上條が顔の前で煙幕を張っていると、内山もデスクの引き出しを開けてフィルターつきのキャメルと小さな灰皿を取り出し、そそくさと火を点ける。
「死体を捨てるのにも都合のいい場所ということですか」
「まあ、その」内山が唾を呑む。喉仏が大きく上下した。「あまり気持ちいい想像ではないですけどね、そうなんでしょうな」
冬の北嶺に特有の、身を切るような風だ。日本海側から吹きつける風は、山で湿気を雪として落とし
寒気だけを運んでくる。
「いい加減にしてよね」朋絵の鼻がひくひくと動く。「こっちが水商売してる人間だからって、馬鹿にしないでよ」
「冗談じゃない、私はーー」
言いかけた上條の鼻先でドアが勢いよく閉まった。上條は耳の奥でその音が収まるのを待にながらしばらく立ち尽くしていた。
首筋を撫でていく冷たく乾いた風が、自分のクビを宣告しているように思えた。
突然、真人が頭から突き抜けるような甲高い笑い声を上げた。店内の客の視線が一斉に突き刺さる。それに気づいたのか、真人はスウィッチが切れたように笑いを引っこめ、窓に映る自分の姿に見入った。
「まあ、大したことじゃないけど」
「大したことない、か」陽一が自分の煙草に火を点け、どれだけ速く灰にできるか試そうとするようにせわしなく吸った。「お前、平気なのかよ」
「解決できるのかね」
挑発するわけではない、さりげない質問だったが、萩原の言葉は上條の心にできた結び目にかちんとぶつかった。スプーンを皿に放り出し、真っ直ぐ萩原の顔を睨む。
アルコールが口の粘膜をかすかに麻痺させる感覚を楽しみながらゆっくりと飲み下した。
「本当にそうなのか」
暗闇に恐る恐る手を伸ばすような慎重さで児玉が言った。
分かっている。俺のせいだ。上條はその思いを噛み砕き、腹の底に収めて書類に目を通し始めた。
記憶というにはあまりにも鮮やかで、目の前でビデオを見せられるようなものだった。
陽一がやってきたのは五分前で、待っている間に真人の怒りは体を突き破りそうなほどに膨れ上がっていた。
ただエネルギーを消費しないように一番楽な姿勢を取っているだけのようだった。
何かが気になるのだ。しかし、その「何か」の正体がどうしても分からない。封筒の中には答えが入っているのに、きつく糊づけされたその封がなかなか剥がれないようなもどかしさを上條は感じていた。
「全然知らない連中なのか、それとも覚えてないのか」
アキラが顔を上げる。前歯が食いこんだ唇が白くなっていた。
「顔見知りじゃないんだな」
「だから、分からないって」アキラが激しく首を振った。さながら頭の中に住み着いた悪夢を追い出そうとでもするように。
「お店にまで何の用?」
「食事ですよ」
「食事ね……。いかがでした」
「流行ってる理由が分かりましたよ」
「そう」一瞬だけ朋絵の顔に笑みが浮かんだが、すぐに流れて消えた。「仕事じゃないのね」
上條は自分も煙草をくわえ、火を点けた。朋絵との間に薄い煙幕ができる。手を振って払いのけ、続けた。
「どうして私を責めるの」平板な声で朋絵が抗議した。
校長が出張中ということで応対してくれた教頭は、出汁の出きった鶏ガラのように痩せて骨ばった男で、目だけが異様に大きかった。
三十代の前半ぐらいに見える店長は、しっかり洗い抜いて糊を利かせ、全身にアイロンをかけたような男だった。髭の剃り跡も見当たらない頬から顎にかけては石膏像のように滑らかで、短めの七三に分けた髪は、台風に遭っても乱れそうにない。
「そういうの、何て言うか知ってるか」
「ああ?」
「偽善」
一瞬、小野里の首に太い血管が浮き、スーツの上からでも肩の筋肉が盛り上がるのがはっきりと分かった。
「すまん」くすくす笑いながら、小野寺がグラスを干した。
緊張の時は過ぎ去った。上條も小野里に釣られるようにグラスの酒を一気に飲み干す。熱い液体が喉を引っかき、胃壁を痛めつけた。この酒で酔うことがないのは、はっきりと分かっている。
車の窓を閉めたままゆっくりと煙草をくゆらせ、吸い終えてから窓を開ける。煙が外に吸い出され、曇った車内が冷たい空気に満たされた。
「そこの秋山さんなんですけどね」
「秋山さんがどうかしたかね」しわがれた声で老婆が応じた。警戒心を隠そうとせず、眼鏡の奥から上條を睨む。
「いや、ちょっと伺いたいことがありまして」
「何だろうね」
老婆の目が細まり、二本の糸になった。
「だけど、急だったから。パニックになっちまって……」武の台詞の語尾が 頼りなく宙に消える。
アキラが何度もうなずいたが、叱責されていると思ったのか、視線は地面の上を彷徨うだけだった。三人の間を、雪を予感させる湿った風が吹き抜けていく。
上條はアクセルを床まで踏み込んだ。窓の外の風景はぼやけ、線になって流れ始める。