私は定年後に趣味と実益をかねて小説を書けるようになりたいと思っています。
今でも、とりあえず書いているのですが、なかなか難しい。
短編を書くのがやっとで、その出来上がった小説を読み返してみると、なんとひどいことか。
自分の表現力や描写の稚拙さに情けなくなり挫折しそうになります。
そこで、小説家の方々の素晴らしい表現、描写をここに残して、身につけていこうと思っています。
私と同じように小説家の表現、描写に興味のある方はご覧下さい。
今回は森沢明夫さんの『たまちゃんのおつかい便』です。
森沢明夫さんの描写は本当にすごい
小柄なシャーリーンが、ほとんど天井を見るようにして看護師さんに訊いた。
シャーリーンの唇からこぼれ出た「娘」という単語は、わたしの胸の浅いところで礫(つぶて)のような違和感となって、ころりと転がった。
シャーリーンは両腕を抱くようにして、凍えた仕草をしてみせる
押し入れの端っこに、母の遺影が無造作に押し込まれているのを見つけたときだけは、胸の奥の泉から熱っぽい感情がこんこんと涌き出てきて、ひとり泣きそうになったのを覚えている。
コップを使わず、わたしたちは缶をぶつけ合った。
ごくり、と喉を鳴らす。
「美味し~い」
わたしは、こぼれそうなため息を、美味しいご飯粒と一緒に飲み込んだ。
わたしはお猪口を手にして、お酒を口に含んだ。揮発したアルコールが鼻に抜けるのと同時に、酒米の甘味がじんわりと舌に染み込んでくる。
わたしを見るなり南国の太陽みたいな、いつものカラッと明るい笑顔を浮かべた。
小さな罪悪感と一緒に返事を吐き出した
壮介は従順な柴犬みたいな顔をほころばせた
わたしはシャーリーンのくりっとした鳶色の瞳の美しさに見とれそうになった。
いきなり背中から見えない手を差し込まれ、ぎゅっと心臓を握られた気がした。一瞬、呼吸すら忘れていた。
いったん食道を伝い落ちたぬるい番茶が、胃のなかで黒くて熱い感情の塊になって、逆流してきそうな気がした。
渇いた喉を水道の水でうるおした。冬の冷たい水は、食道を伝い、胃に落ちていくのがよくわかる。コップ半分ほどの水を飲んだところで、思わず「ふう」と声に出してしまう。
「これ、わたしのだよね?」
目がなくなるほど嬉しそうな顔をしたたまちゃんが、当たり前なことを訊く。
胃の奥から食道のあたりにかけて、嫌な熱がこみ上げてきた。
やるせないような思いが胸の辺りからじわじわと広がって、お腹の底まで侵食されそうな気がした。
そのまま、何も言わない母の顔を眺めていたら、胸のなかに、ひんやりとした黒い霧のような感情が渦巻きはじめて、それが荒っぽい潮騒と混じり合い、みるみる膨れ上がり、喉の奥からこみ上げていた。
わたしはぐったりとシートに背中をあずけた。半開きの唇からは、空っぽなため息がこぼれた。
わたしは、ほぼ泣きっぱなしだった。しずくをこぼせばこぼすほどに、心がその分だけ乾いた空洞みたいになって、葬儀が終わる頃には、もはや脱け殻だった。
やさしい父の顔がゆらりと涙で揺れ、わたしの肩が上下しはじめた。
頷いた拍子に、しずくが再び落ちた。さっきと同じ手の甲に落ちたのに、しずくの温度が違う気がした。
古館のおっさんは、仏頂面のまま、唇の端だけで小さく笑った。
ときどき、その静かな廊下を看護師さんたちのシルエットがコツコツと靴音を響かせながら行き交う。彼女たちの控えめな靴音が響くことで、むしろ院内の静けさが際立っている気がする。床を這うようなブーンという低い音は、暗がりにぼんやり浮かび上がる自動販売機の呼吸音みたいだ。
青羽川という翡翠(ひすい)色の清流によって造られた扇形の平地でそこに人々が密集して暮らしている。
澄みきったサイダーのような水をたたえた青羽川の河口近く
エンジンを切ると、テンテンテテテテン……、と淋しげな音が車内に満ちた。安っぽい車の天井を叩く雨音だ。
通話を切って携帯をこたつの上に置く。
コト……、という小さな音が、静かな居間に響き渡った。
居間は、目を細めたくなるような光で満ちていた。東側の大きな掃き出し窓から、レモン色をした朝日がたっぷり注がれているのだ。
師走の朝の凜と張りつめた空気に、わたしの口から出た白い息がほわっと丸く浮かんだ。
空気が澄んでいるせいか、空と海の二色のブルーが、水平線でくっきりと上下に分けられていた。
道路の左手は、青いセロファンのような海。その穏やかで洋々たる広がりに、冬の低い陽光がひらひら乱反射していて、わたしは少し目を細めた。
空は淡いパイナップル色に輝き、その西日を受けた山々の斜面は光の絨毯のようだった。穏やかな海原も空と同じ色で揺れている。
さっきまで金色だった海原が、早くも濃いピンク色に変化しつつある。
会話のなくなった車内に、エンジンの音と、タイヤの摩擦音がじわじわと満ちてくる。
そのとき、ぴょう、と一陣の風が吹き抜けたと思ったら、アスファルトの上に黒い小さな花がぱらぱらと咲きはじめた。雨だった。
その澄み切った淵の水面は磨き込まれた鏡のようで、蛍光ブルーの夏空と、真っ白な雲を映しながら、ひらり、ひらり、と揺れていた。
海側の窓を開けて網戸にした。生暖かい風が透明な塊になって吹き込んでくる。生成りのカーテンがはたはたと揺れた。
夜空が暗いと、海も黒くてのっぺらぼうだ。その海からざわざわと低い潮騒だけが立ちのぼってくる。
まぶしい緑におおわれていた山々が、くすんだ苔色に変わりはじめる頃、音羽町にはひんやりとして透明感あふれる風が吹き下ろす。
増水した清流はウグイス色に白濁し、荒れ狂う大蛇のようにうねって見える。
まばらな雲が、熟したマンゴー色に光っていた。さらさらと吹き渡る海風までもが、透明感のあるマンゴー色に染まっているように見える。