「デービッド、君はこれまでお父さんを避けてきたよね。それはお父さんが偉大すぎるためだったと思う。でも、そのお父さんはいつまで生きていると思う? 明日までかもしれない、今日、命を失うかもしれない。生きているうちにできるだけ話すんだ。時間を惜しまず話さなくてはいけない」
ある日、私は直太朗さんに『なぜ、直太朗さんの料理には色々な国の要素が入っているのか?』と尋ねたことがあります。すると彼はこう答えました。
それは人生と一緒です。色々な人と出会った方が、人生は豊かになります。できれば、自分となるべくかけ離れた人と出会った方がいい。その分、発見や驚きが広がりますからね。料理も同じことなのです。
「これは、ユダヤ人に伝わることわざだった」
「ことわざねえ」
佐々木は、図書館で手帳の中に書き込んだ文字を読み上げた。
「愚か者にとって老年は冬、賢者にとって老年は黄金期」
「なんだ、それ。全く意味がわからない。お前わかったのか?」
「文字通り解釈すれば、若い頃頑張った者には幸福な老後が待っているが、遊びに明け暮れた者には辛い老後が待っているっていうことだろう。いかにもユダヤ人的な戒めだ。でも、そんな教訓を山形直太朗が、わざわざレシピの最後に書き入れて伝えたかったとは到底思えない」
これは山形直太朗が残した、何かのメッセージなんだよ
「佐々木さんは、レシピを書いたことがある?」
「ええ、もちろん」
幸の質問は、少し自分を見下したものだと感じた。佐々木は、レシピくらいは日常の作業として当たり前に書いているし、書きとめたノートだってある。
「それは自分のためのメモ? それとも他の人のためのもの?」
その言葉を聞いて、佐々木は幸が伝えようとしたことが、やっと呑み込めた。佐々木は悔しそうに答えた。
「自分のためです。僕は人のためにレシピをいままで書いたことがない……」
それは仕方のないことでもあった。佐々木の修業時代、親方や先輩からは、料理は見て覚えろと言われ続けてきた。
その癖で、自分が店を始めても、助手の子たちに作り方を一度見せて、それを真似るように言ってきた。そして、それができないと佐々木は助手たちを殴りつけてきた。
「レシピを教えないで見て覚えろでしょ。料理業界の本当に悪い習慣。でも……佐々木さんが人のためにレシピを書かなかったことは、それだけの理由だったかしら?」
この質問に佐々木はまた途方に暮れた。何が言いたいのかわからない。
「他人を信用してみたら、いいんじゃなきかしら」
それはもはや料理の話ではなかった。佐々木がレシピを書かなかった理由、それは人生の中で他人を信用してこなかったことにあると言うのか。
「料理も、店も……人生も、みんなで作っていくものなのよ、きっと」