「そんなの当たり前でしょ。俺、生きてるんだから。あのね、人間が無条件に優しくなれるのは、相手がホントに死人の箱に片足突っ込んでからなの。何でも我慢できるようになるのは、相手がホントにこれから死ぬってことが目の前にぶら下がってからなの。人間は生きてたら絶対些細なことで喧嘩すんの。些細なことで喧嘩しているは、死がまだ現実じゃないってことだよ」
負うた子に教えられて浅瀬を渡るということわざには、隠れた裏の意味がある。親はどれだけ年を取っても子供を負いたがるのだ。黙って背負われようとする親は滅多にいない。何か起こると「自分がいなくちゃ」のポジションを取らないことには安心できない。
死に損ない。素敵な言葉じゃないの。どうして罵倒の台詞に使われるか分からない。つまりは命冥加ということなのに。
そんなところを両家の家族に見られると、また後でブツブツ言われる。
あたしたちを助けてくれない世間体など知るか。あんたたちも含めて。
そんな暇あったら次の面白いもん見つけたいの。時間は有効なんだ、自分にとっての外れなんか、さっさと忘れるだけだよ。覚えてるだけ脳の容量がもったいない